名前 | 丸尾 聰 |
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肩書 | クリエイティブ新規事業プロデューサー |
キャッチコピー | 芸大出身のMBA教授が、社員をクリエイティブ集団に変える |
対応地域 | 全国 |
専門テーマ | 新規事業企画、起業、クリエイティブ発想、創造性 |
得意業種 | 製造業の経営企画部門、研究開発部門、新規事業開発部門 地方自治体の産業政策部門 |
資格 | MBA |
経歴 | デザイナーを夢見て、東京芸術大学に入学。在学中に銀座のカフェバーなどを設計。しかし、海外で受賞する同級生のデザインレベルの高さに敗北感を感じ、一般企業に就職。
その後、一般企業になじめず、デザインのコンサルティング会社を起業。初年度から大手広告代理店からの大型受注で、急成長。しかし、労務管理のスキルがなく、社員に逃げられ、労務倒産。 デザインのコンサルティングという唯一無二の存在を評価し、住友系のシンクタンク、日本総合研究所の設立に参画。社長の命を受け、差別化戦略を立案。調査・研究力を競うシンクタンク業界に、試行・実践力を売りにする「ドゥタンク」というキャッチコピーを掲げ、大ブレイク。一気に、業界のトップランナーに登り詰める。 そこで、民間主導で規制緩和を仕掛け、市場を創造するプロジェクトを顧客と協働して立ち上げ、共同出資のベンチャー企業を立ち上げる。5社のうち2社を上場。霞が関をも動かす「ゼロ(から)イチ(のビジネスを作る)」の新規事業コンサルタントとして名をあげる。その後、日本総合研究所人事部長として、人事制度の全面改訂や運用と定着、制度に基づく採用、教育のシステム開発と定着に従事。家族の介護と看護のため退職。東京理科大学大学院にてMBAを取得。その後、丸尾経営教育研究室を設立。 新規事業計画の立案に特化した日本唯一の専門職大学院である「事業構想大学院大学」の教授に就任、同年6月に、日本最古のMBA授与機関である「慶應義塾大学ビジネス・スクール」の講師にも就任。 |
実績 |
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ごあいさつ |
先生ビジネス開発講座・1期生の丸尾です。よろしくお願いします。大手企業を退職し、個人事業主に変わり、自身喪失の中で、志師塾の門を叩きました。忘却の彼方にあった「東京芸大卒業」という学歴や、志師塾で学んだ「チラシによる紹介」の縁で得た「慶應義塾大学ビジネス・スクール講師」の肩書きを、五十嵐さんは「それはアピールした方が良い」と強くご助言。「過去の実績やスキル、という遺産で食う奴は、進化しない」と信じてきた私にとっては、目から鱗でした。 |